常識が通らない現代人の精神構造
山梨県笛吹市で06年3月、県立山梨高定時制教諭、岩間友次さん(当時59歳)が、約24年前に担任した教え子の男に刺殺された事件があり、妻常美さん(55)が「公務外災害」とした処分を取り消すよう求めた訴訟で、甲府地裁(太田武聖裁判長)は19日、公務と事件の因果関係を認め、地方公務員災害補償基金に処分の取り消しを命じた。
判決によると、男には精神疾患があり、精神障害になったのは岩間さんのせいだと思い込み、卒業後もたびたび勤務先の高校に押しかけて抗議するなどしていた。常美さんは「卒業後の指導も公務に当たる」として06年9月、同基金県支部に公務災害認定を請求したが認められなかった。
常美さん側は訴訟で、卒業式前日、式への出席を拒んだ男を岩間さんが熱心に説得したことが男の被害妄想の原因であり、公務に起因すると主張。判決は訴えを認め、「長期にわたる迷惑行為の延長線上で事件が起きており、経緯が異常とはいえない。因果関係に欠けるとして対象外とすることは制度の趣旨からみて相当でない」とした。【1月20日毎日新聞 中西啓介、水脇友輔】
殺されてしまった人が生徒に対して体罰をしていた、ということはどの報道記事にも書いていない。したがって、以下の文章は、殺されてしまった人・個人についての記述ではないことをあらかじめ書いておく。
学校の教員、いや保育園の保育士も含めて、子どもを相手にする職業を持つ人は、これからは覚悟が必要だろう。
24年後に教え子がやって来て殺されてしまった事件。子どもに対する接し方を考えなければ、将来殺されてしまうかもしれない時代になったのだ。
四半世紀もの間、教師に対する恨みを持ち続けていたこともすごいことだが、殺すと決めて実行してしまうことは、さらに遠く次元の違う世界の話だ。
私が中学生位までの学校は、教師による体罰がやり放題だった。小学校でも中学校でも、教師は男子・女子の区別なく、バシバシ殴っていた。高校に入っても元特攻隊員という体育教師は生徒を平気で殴っていた(ちなみに、この教師はまだ生きており、漫画家の小林よしのり氏と雑誌で対談をしている記事を読んだことがある)。
時代はその後、生徒による校内暴力の巻き返しにさらされ、人権意識の向上とともに、教師の体罰は撲滅への道を走った。
私自身も、小学校の時に体罰やり放題だった戦中派教師は、卒業してからは長いこと嫌悪感を抱いていた。体罰だけではなく、露骨に差別用語を罵る教師も嫌いだった。
しかし、嫌いだったという記憶と、殺してしまう行為は根本的に違う問題である。たとえ殺したいと思っても、それを実行しないのが社会の常識だった。
ところが、今は平気で人を殺してしまう時代になった。これは教育の問題ではない。ゆとり教育だろうが、詰め込み教育だろうが、そんなことは関係ない。100マス計算をしたから人を殺すことはしない、ということはない。
人間としての人格の問題だ。精神疾患の領域に深く入り込む問題でもある。さらに、精神科医だけにまかせる問題ではない。今、どこの精神科も患者でいっぱいだ。新患を受け入れないところも多い。
大変な時代になった、という自覚を持つことが必要だ。
判決によると、男には精神疾患があり、精神障害になったのは岩間さんのせいだと思い込み、卒業後もたびたび勤務先の高校に押しかけて抗議するなどしていた。常美さんは「卒業後の指導も公務に当たる」として06年9月、同基金県支部に公務災害認定を請求したが認められなかった。
常美さん側は訴訟で、卒業式前日、式への出席を拒んだ男を岩間さんが熱心に説得したことが男の被害妄想の原因であり、公務に起因すると主張。判決は訴えを認め、「長期にわたる迷惑行為の延長線上で事件が起きており、経緯が異常とはいえない。因果関係に欠けるとして対象外とすることは制度の趣旨からみて相当でない」とした。【1月20日毎日新聞 中西啓介、水脇友輔】
殺されてしまった人が生徒に対して体罰をしていた、ということはどの報道記事にも書いていない。したがって、以下の文章は、殺されてしまった人・個人についての記述ではないことをあらかじめ書いておく。
学校の教員、いや保育園の保育士も含めて、子どもを相手にする職業を持つ人は、これからは覚悟が必要だろう。
24年後に教え子がやって来て殺されてしまった事件。子どもに対する接し方を考えなければ、将来殺されてしまうかもしれない時代になったのだ。
四半世紀もの間、教師に対する恨みを持ち続けていたこともすごいことだが、殺すと決めて実行してしまうことは、さらに遠く次元の違う世界の話だ。
私が中学生位までの学校は、教師による体罰がやり放題だった。小学校でも中学校でも、教師は男子・女子の区別なく、バシバシ殴っていた。高校に入っても元特攻隊員という体育教師は生徒を平気で殴っていた(ちなみに、この教師はまだ生きており、漫画家の小林よしのり氏と雑誌で対談をしている記事を読んだことがある)。
時代はその後、生徒による校内暴力の巻き返しにさらされ、人権意識の向上とともに、教師の体罰は撲滅への道を走った。
私自身も、小学校の時に体罰やり放題だった戦中派教師は、卒業してからは長いこと嫌悪感を抱いていた。体罰だけではなく、露骨に差別用語を罵る教師も嫌いだった。
しかし、嫌いだったという記憶と、殺してしまう行為は根本的に違う問題である。たとえ殺したいと思っても、それを実行しないのが社会の常識だった。
ところが、今は平気で人を殺してしまう時代になった。これは教育の問題ではない。ゆとり教育だろうが、詰め込み教育だろうが、そんなことは関係ない。100マス計算をしたから人を殺すことはしない、ということはない。
人間としての人格の問題だ。精神疾患の領域に深く入り込む問題でもある。さらに、精神科医だけにまかせる問題ではない。今、どこの精神科も患者でいっぱいだ。新患を受け入れないところも多い。
大変な時代になった、という自覚を持つことが必要だ。
かつてのプロ野球にはサムライがいた…
元巨人、阪神のエース投手だった小林繁氏が急逝したという報道に、私自身はショックが大きかった。
まだ57歳という若さと、急性心不全という病名が私を不安にさせた。
私も今年で51歳になる。美空ひばりも石原裕次郎も52歳で亡くなったという事実を聴き、40代から50代を生き抜くのは、かなりの努力がいると考えた。
さて、小林繁氏の印象と言えば、阪神にトレードされて、宿敵となった巨人との対決だった。
独特のサイドスローは、もし今現役だったら、WBCに出場して十分に世界に通用する力を持っていたと思う。
そして、今でも脳裏に焼きついているのは、対巨人戦での王貞治との対決だった。
一本足打法の四番打者・王選手に対して、小林は十分に力を溜めて投球した。今では「二段投法」として認められないかもしれないが、小林はわざと投球中に腕を後ろに構えたまま、静止ぎりぎりまで溜めて投げた。
この時、どの方向からも、小林のボールの握りがはっきりと見えた。
そして、フォークボールの握りをしっかりと王に見せて、渾身の力を込めて投げた。
結果は空振りの三振。フォークとわかっていても、王は打てなかった。
同じように、投球するボールの握りをわざとバッターに見せて投げるピッチャーは、他にもいた。
ロッテのエースでマサカリ投法の村田兆冶投手、阪急ブレーブスのエースでサブマリン投法の山田投手などである。
彼らは、あえて正面からバッターと戦った。
サムライである。
彼らこそ、世界での舞台に立ってほしかった。小林繁氏に合掌。
まだ57歳という若さと、急性心不全という病名が私を不安にさせた。
私も今年で51歳になる。美空ひばりも石原裕次郎も52歳で亡くなったという事実を聴き、40代から50代を生き抜くのは、かなりの努力がいると考えた。
さて、小林繁氏の印象と言えば、阪神にトレードされて、宿敵となった巨人との対決だった。
独特のサイドスローは、もし今現役だったら、WBCに出場して十分に世界に通用する力を持っていたと思う。
そして、今でも脳裏に焼きついているのは、対巨人戦での王貞治との対決だった。
一本足打法の四番打者・王選手に対して、小林は十分に力を溜めて投球した。今では「二段投法」として認められないかもしれないが、小林はわざと投球中に腕を後ろに構えたまま、静止ぎりぎりまで溜めて投げた。
この時、どの方向からも、小林のボールの握りがはっきりと見えた。
そして、フォークボールの握りをしっかりと王に見せて、渾身の力を込めて投げた。
結果は空振りの三振。フォークとわかっていても、王は打てなかった。
同じように、投球するボールの握りをわざとバッターに見せて投げるピッチャーは、他にもいた。
ロッテのエースでマサカリ投法の村田兆冶投手、阪急ブレーブスのエースでサブマリン投法の山田投手などである。
彼らは、あえて正面からバッターと戦った。
サムライである。
彼らこそ、世界での舞台に立ってほしかった。小林繁氏に合掌。
うつ病の治療は薬だけではないということを知ろう
うつ病患者が100万人を超え、この10年間で2・4倍に急増している。不況などの影響はもちろんだが、新規抗うつ薬の登場との関係を指摘する声も強い。安易な診断や処方を見直す動きも出つつある。
東京の大手事務機器メーカーでは、約1万2000人いる従業員中、心の病による年間の休職者が70人(0・6%)を超える。2か月以上の長期休職者も30人を超えた。多くがうつ病との診断で、10年前までは年間数人だったのが、2000年を境に急増した。
この会社の産業医は、「『うつ病は無理に励まさず、休ませるのが良い』との啓発キャンペーンの影響が大きい」と話す。うつ病への対処としては正しいが、「以前なら上司や同僚が励まして復職させたタイプにも、何も言えなくなった。性格的な問題で適応できない場合でも、うつ病と診断されてしまう」と、嘆く。
国の調査では、うつ病など気分障害の患者は、2000年代に入り急激に増えており、一概に不況だけの影響とは言えそうにない。
患者急増との関係が指摘されているのが、新規抗うつ薬「SSRI」だ。年間販売高が170億円台だった抗うつ薬市場は、1999年にSSRIが登場してから急伸。2007年には900億円を超えた。
パナソニック健康保険組合予防医療部の冨高辰一郎部長(精神科医)によると、欧米でも、この薬が発売された80年代後半から90年代初めにかけ、患者の増加がみられた。
冨高部長は「SSRIが発売されたのに伴い、製薬企業による医師向けの講演会やインターネット、テレビCMなどのうつ病啓発キャンペーンが盛んになった。精神科受診の抵抗感が減った一方、一時的な気分の落ち込みまで、『病気ではないか』と思う人が増えた」と話す。
田島治・杏林大教授が、学生にテレビCMを見せた研究では、見なかった学生の倍の6割が「気分の落ち込みが続いたら積極的な治療が必要」と答え、CMの影響をうかがわせた。
◆安易な投薬…薬なしで回復の例も◆
うつ病は一般的に、きまじめで責任感が強い人が陥りやすいとされる。自殺に結びつくこともあり、早期発見・治療は自殺対策の柱のひとつにもなっている。
ところが近年は、「自分より他人を責める」「職場以外では元気」など、様々なタイプもうつ病に含まれるようになった。検査数値で測れる身体疾患と違い、うつ病の診断は難しい。このため、「抑うつ気分」などの症状が一定数以上あれば要件を満たす診断基準が普及した。「なぜそうなったか」は問われず、性格や日常的な悩みによる落ち込みでも診断され、かえって混乱を招いた面がある。
田島教授が行った精神科診療所の医師に対する調査では、約8割の医師が、うつ病の診断が広がり過ぎていることに懸念を示した。
安易な投薬を懸念する声もある。抗うつ薬は、うつ病治療の柱とされているが、宮岡等・北里大教授は「薬なしでも自然に回復するうつ病も多い」と話す。
海外では、軽症には薬物療法ではなく、カウンセリングや運動などを最初に勧める治療指針も多い。渡辺衡一郎・慶応大専任講師は「日本でも、まず抗うつ薬ありきという認識を見直す時期に来た」と話す。(読売新聞 医療情報部 高橋圭史、佐藤光展)
抗うつ薬と治療効果の問題は、かなり以前から問題として指摘されている。特にこの記事で挙げられているSSRI(商品名「パキシル」「デプロメール」「ルボックス」など)は選択的セロトニン再取り込み阻害薬というもので、近年爆発的にうつ病治療薬として使われている。
記事にもある通り、うつ病治療のための精神科受診と投薬の奨励をマスコミで大々的に宣伝した結果、受診率も上がり、服用する人が急増している。その結果、自殺衝動が起きるなどの異常行動が副作用として指摘されたにもかかわらず、この薬はかなり生産・販売されているらしい。
もちろん医師の処方がなければ手に入れることは出来ないが、最近は精神科医だけでなく、内科医もこれらの向精神薬を処方するようになり、「市場」はどんどん広がっている。
その背景には、医薬品メーカーと医師、病院などの医療施設との癒着が指摘されている。薬が売れれば製薬会社も医師も儲かるからだ。
最近は、この持ちつ持たれつの関係を断ち切ろうと決断して行動する医師もいるが、ごく少数に限られる。
かつて私も仕事のことで非常に気分が落ち込み、紹介された医師の診察で「うつ病」と言われたことがある。その時にパキシルを約半年近く服用していた。副作用の知識はまったく無かったが、電車の駅に行くと線路にとび込みたくなる衝動にかられ、しばらくの間電車に乗れなかった。と言うか、駅に近づくことすら恐怖に感じていた。
さらに脱力感、無力感、食欲の低下、怒りと悲しみの制御ができない、ふいに来る強烈な睡魔などの症状がずっと続いた。
その後、経済的な理由(精神科の治療費は高いという印象があり、薬代もばかにならなかった)で内科医を受診し、もっと軽い薬に切りかえたらずっと気分が良くなった。副作用もだんだんとおさまり、今で言う「セカンド・オピニオン」の大切さを身にしみて感じた。
うつ病に運動が良いというのは、私の体験からも有効だと思う。軽い、継続できる運動でいいのだ。歩くだけでもいい。散歩も気分転換になる。ウォーキングというほどではないかもしれないが、それ以降、私は歩くことを常日頃心がけている。
服薬が必要なケースはあるだろう。全面的に薬を否定するつもりはない。しかし、薬が唯一ではないことをもっと社会に広めるべきだろう。
東京の大手事務機器メーカーでは、約1万2000人いる従業員中、心の病による年間の休職者が70人(0・6%)を超える。2か月以上の長期休職者も30人を超えた。多くがうつ病との診断で、10年前までは年間数人だったのが、2000年を境に急増した。
この会社の産業医は、「『うつ病は無理に励まさず、休ませるのが良い』との啓発キャンペーンの影響が大きい」と話す。うつ病への対処としては正しいが、「以前なら上司や同僚が励まして復職させたタイプにも、何も言えなくなった。性格的な問題で適応できない場合でも、うつ病と診断されてしまう」と、嘆く。
国の調査では、うつ病など気分障害の患者は、2000年代に入り急激に増えており、一概に不況だけの影響とは言えそうにない。
患者急増との関係が指摘されているのが、新規抗うつ薬「SSRI」だ。年間販売高が170億円台だった抗うつ薬市場は、1999年にSSRIが登場してから急伸。2007年には900億円を超えた。
パナソニック健康保険組合予防医療部の冨高辰一郎部長(精神科医)によると、欧米でも、この薬が発売された80年代後半から90年代初めにかけ、患者の増加がみられた。
冨高部長は「SSRIが発売されたのに伴い、製薬企業による医師向けの講演会やインターネット、テレビCMなどのうつ病啓発キャンペーンが盛んになった。精神科受診の抵抗感が減った一方、一時的な気分の落ち込みまで、『病気ではないか』と思う人が増えた」と話す。
田島治・杏林大教授が、学生にテレビCMを見せた研究では、見なかった学生の倍の6割が「気分の落ち込みが続いたら積極的な治療が必要」と答え、CMの影響をうかがわせた。
◆安易な投薬…薬なしで回復の例も◆
うつ病は一般的に、きまじめで責任感が強い人が陥りやすいとされる。自殺に結びつくこともあり、早期発見・治療は自殺対策の柱のひとつにもなっている。
ところが近年は、「自分より他人を責める」「職場以外では元気」など、様々なタイプもうつ病に含まれるようになった。検査数値で測れる身体疾患と違い、うつ病の診断は難しい。このため、「抑うつ気分」などの症状が一定数以上あれば要件を満たす診断基準が普及した。「なぜそうなったか」は問われず、性格や日常的な悩みによる落ち込みでも診断され、かえって混乱を招いた面がある。
田島教授が行った精神科診療所の医師に対する調査では、約8割の医師が、うつ病の診断が広がり過ぎていることに懸念を示した。
安易な投薬を懸念する声もある。抗うつ薬は、うつ病治療の柱とされているが、宮岡等・北里大教授は「薬なしでも自然に回復するうつ病も多い」と話す。
海外では、軽症には薬物療法ではなく、カウンセリングや運動などを最初に勧める治療指針も多い。渡辺衡一郎・慶応大専任講師は「日本でも、まず抗うつ薬ありきという認識を見直す時期に来た」と話す。(読売新聞 医療情報部 高橋圭史、佐藤光展)
抗うつ薬と治療効果の問題は、かなり以前から問題として指摘されている。特にこの記事で挙げられているSSRI(商品名「パキシル」「デプロメール」「ルボックス」など)は選択的セロトニン再取り込み阻害薬というもので、近年爆発的にうつ病治療薬として使われている。
記事にもある通り、うつ病治療のための精神科受診と投薬の奨励をマスコミで大々的に宣伝した結果、受診率も上がり、服用する人が急増している。その結果、自殺衝動が起きるなどの異常行動が副作用として指摘されたにもかかわらず、この薬はかなり生産・販売されているらしい。
もちろん医師の処方がなければ手に入れることは出来ないが、最近は精神科医だけでなく、内科医もこれらの向精神薬を処方するようになり、「市場」はどんどん広がっている。
その背景には、医薬品メーカーと医師、病院などの医療施設との癒着が指摘されている。薬が売れれば製薬会社も医師も儲かるからだ。
最近は、この持ちつ持たれつの関係を断ち切ろうと決断して行動する医師もいるが、ごく少数に限られる。
かつて私も仕事のことで非常に気分が落ち込み、紹介された医師の診察で「うつ病」と言われたことがある。その時にパキシルを約半年近く服用していた。副作用の知識はまったく無かったが、電車の駅に行くと線路にとび込みたくなる衝動にかられ、しばらくの間電車に乗れなかった。と言うか、駅に近づくことすら恐怖に感じていた。
さらに脱力感、無力感、食欲の低下、怒りと悲しみの制御ができない、ふいに来る強烈な睡魔などの症状がずっと続いた。
その後、経済的な理由(精神科の治療費は高いという印象があり、薬代もばかにならなかった)で内科医を受診し、もっと軽い薬に切りかえたらずっと気分が良くなった。副作用もだんだんとおさまり、今で言う「セカンド・オピニオン」の大切さを身にしみて感じた。
うつ病に運動が良いというのは、私の体験からも有効だと思う。軽い、継続できる運動でいいのだ。歩くだけでもいい。散歩も気分転換になる。ウォーキングというほどではないかもしれないが、それ以降、私は歩くことを常日頃心がけている。
服薬が必要なケースはあるだろう。全面的に薬を否定するつもりはない。しかし、薬が唯一ではないことをもっと社会に広めるべきだろう。
自閉症を科学的に解明することは、なぜ必要なのか?
浜松医科大精神神経医学講座の森則夫教授らを中心とする研究グループは1月5日、厚生労働省内で記者会見を開き、自閉症の人の脳内では「セロトニン神経」が正常に働いていないとする研究結果を発表した。同日に米専門誌「Archives of General Psychiatry」に掲載された。辻井正次・中京大現代社会学部教授は会見で、「(脳内に)障害部位があることが明らかになったのは、今後、発達障害者の支援を実現していく意味ではとても大事な研究になる」などと述べた。
発表によると、薬物療法を受けたことのない自閉症の人20人と健常者20人の脳を頭部専用PET(陽電子放射断層撮影)スキャナーで撮影。分析したところ、自閉症の人の脳全体では、「セロトニン神経」の働きを調整するたんぱく質「セロトニン・トランスポーター」の密度が健常者と比べて低下しており、「セロトニン神経」が正常に働いていないことが分かったとしている。自閉症の人の脳内での障害が画像研究で明らかになったのははじめてだという。
また、脳部位の「帯状回」でセロトニン神経の働きが弱まると「相手の気持ちが分からない」との症状が、「視床」での働きが弱くなると同じ行動などを繰り返す「こだわり」の症状が強まるなど、症状の重症度と相関が見られたという。

森教授は会見で、自閉症に関連する遺伝子は複数あるとしたものの、「遺伝子がどのようにセロトニン・トランスポーターの異常につながっていくかはブラックボックスだ」と述べた。また、「遺伝子の関与があることは明らか。環境もまた遺伝子に作用する」と述べる一方、精神的な障害には誰でもなる可能性があるとして 「(自閉症は)『遺伝病』では決してない」と強調した。
また辻井教授は、2005年4月の発達障害者支援法の施行以来、発達障害は公的に認められたが、脳機能の障害は「何が障害なのか」を説明できない状況が続いたと指摘。「障害がありながらもきちんと可視化できず、いろんな意味での不利益を生じさせていた」と述べた。その上で、「障害部位が確かにあるということが(研究で)明らかになったことは、今後、発達障害者の支援を実現していく意味ではとても大事な研究になる」とした。
キャリアブレイン
自閉症の療育や医療、保育や教育に携わる人々にとって、自閉症児・者の人たちの特徴は、ある程度の共通点を共有している。それは「イマジネーションの欠落」「社会性の未熟さ」「コミュニケーションの難しさ」の三点だ。これを「自閉症の三つ組」と言われている。
しかし、自閉症をはじめとする発達障碍群が「脳の機能の障碍」と言われながら「決定的な証拠」が無かったために、社会からはなかなか理解されなかった。1980年代くらいまでは「母親の養育が悪いから子どもが自閉症になる」と専門家の間でも当たり前のように言われていた。その後も「テレビを視聴させると自閉症になる」と主張して全国の保育士や親を相手に講演してまわる人もいたくらいだった。
ガンであればガン細胞が見つかるが、脳の障碍と言われながら、自閉症の脳機能のどこが問題なのかはわからなかった。
今回の発表も、関係者の間ではある程度わかっていたことであり、特に目新しいとは言いにくいが、社会一般に与えるインパクトは大きいと思う。これをきっかけとして自閉症が広く社会に認知されることを期待したい。
しかし、問題点もある。「自閉症の人の脳は感情理解の部分が問題になる」ということが科学的に証明されても、「自閉症でなくても人の心を理解できない人、感情がない人などはいるのではないか?」と思う人がいるのではないかと思う。 また、「自閉症の子どもの親も、自閉的な傾向がある」という「遺伝」を信じ切っている人が療育や教育関係者に広くいることである。
前者の疑問は、「自閉症スペクトラム」という考え方で解決できる。人は健常な人間と自閉症の人間にはっきり白黒区別することはできない。人間には誰しも「三つ組」の特性を抱えていて、それが薄い人から色濃く出る人までスペクトラム(連続性)があるのだ。どこまでが健常でどこからが自閉症かというのは、その人が所属する社会で決まる。つまり、大都会と地方の集落、先進国と途上国では、社会から人に求められるものがかなり違う。人里離れたところで生活するには社会性が欠如していても生きて行けるが、ある程度完成された世界では人とのやりとりがうまくできないと生きていくには苦しい。
しかし、成熟されたと言われている現代社会において、人と接することなく生きていける、という現象もある。相対的にインターネットという仮想空間が花盛りなのがその証拠だ。
ますます問題は複雑化してくる。今回の発表も、自閉症の医学的な治療の第二歩目程度にしか過ぎない。過剰な期待は慎むべきだろう。
遺伝の問題は次の機会で述べることにする。
発表によると、薬物療法を受けたことのない自閉症の人20人と健常者20人の脳を頭部専用PET(陽電子放射断層撮影)スキャナーで撮影。分析したところ、自閉症の人の脳全体では、「セロトニン神経」の働きを調整するたんぱく質「セロトニン・トランスポーター」の密度が健常者と比べて低下しており、「セロトニン神経」が正常に働いていないことが分かったとしている。自閉症の人の脳内での障害が画像研究で明らかになったのははじめてだという。
また、脳部位の「帯状回」でセロトニン神経の働きが弱まると「相手の気持ちが分からない」との症状が、「視床」での働きが弱くなると同じ行動などを繰り返す「こだわり」の症状が強まるなど、症状の重症度と相関が見られたという。

森教授は会見で、自閉症に関連する遺伝子は複数あるとしたものの、「遺伝子がどのようにセロトニン・トランスポーターの異常につながっていくかはブラックボックスだ」と述べた。また、「遺伝子の関与があることは明らか。環境もまた遺伝子に作用する」と述べる一方、精神的な障害には誰でもなる可能性があるとして 「(自閉症は)『遺伝病』では決してない」と強調した。
また辻井教授は、2005年4月の発達障害者支援法の施行以来、発達障害は公的に認められたが、脳機能の障害は「何が障害なのか」を説明できない状況が続いたと指摘。「障害がありながらもきちんと可視化できず、いろんな意味での不利益を生じさせていた」と述べた。その上で、「障害部位が確かにあるということが(研究で)明らかになったことは、今後、発達障害者の支援を実現していく意味ではとても大事な研究になる」とした。
キャリアブレイン
自閉症の療育や医療、保育や教育に携わる人々にとって、自閉症児・者の人たちの特徴は、ある程度の共通点を共有している。それは「イマジネーションの欠落」「社会性の未熟さ」「コミュニケーションの難しさ」の三点だ。これを「自閉症の三つ組」と言われている。
しかし、自閉症をはじめとする発達障碍群が「脳の機能の障碍」と言われながら「決定的な証拠」が無かったために、社会からはなかなか理解されなかった。1980年代くらいまでは「母親の養育が悪いから子どもが自閉症になる」と専門家の間でも当たり前のように言われていた。その後も「テレビを視聴させると自閉症になる」と主張して全国の保育士や親を相手に講演してまわる人もいたくらいだった。
ガンであればガン細胞が見つかるが、脳の障碍と言われながら、自閉症の脳機能のどこが問題なのかはわからなかった。
今回の発表も、関係者の間ではある程度わかっていたことであり、特に目新しいとは言いにくいが、社会一般に与えるインパクトは大きいと思う。これをきっかけとして自閉症が広く社会に認知されることを期待したい。
しかし、問題点もある。「自閉症の人の脳は感情理解の部分が問題になる」ということが科学的に証明されても、「自閉症でなくても人の心を理解できない人、感情がない人などはいるのではないか?」と思う人がいるのではないかと思う。 また、「自閉症の子どもの親も、自閉的な傾向がある」という「遺伝」を信じ切っている人が療育や教育関係者に広くいることである。
前者の疑問は、「自閉症スペクトラム」という考え方で解決できる。人は健常な人間と自閉症の人間にはっきり白黒区別することはできない。人間には誰しも「三つ組」の特性を抱えていて、それが薄い人から色濃く出る人までスペクトラム(連続性)があるのだ。どこまでが健常でどこからが自閉症かというのは、その人が所属する社会で決まる。つまり、大都会と地方の集落、先進国と途上国では、社会から人に求められるものがかなり違う。人里離れたところで生活するには社会性が欠如していても生きて行けるが、ある程度完成された世界では人とのやりとりがうまくできないと生きていくには苦しい。
しかし、成熟されたと言われている現代社会において、人と接することなく生きていける、という現象もある。相対的にインターネットという仮想空間が花盛りなのがその証拠だ。
ますます問題は複雑化してくる。今回の発表も、自閉症の医学的な治療の第二歩目程度にしか過ぎない。過剰な期待は慎むべきだろう。
遺伝の問題は次の機会で述べることにする。
2009年をふりかえる
2009年もあと数時間で終わろうとしている。単なる通過点でしかないが、今年もいろいろなことがあった。
個人的には、元旦早々に小学・中学時代に個別支援をしたY君とそのご家族が火災により不慮の死を遂げてしまったこと。そして中学校の同級生で元タレントだったSさんが父親の墓前で自死されてしまったことなど、残念なことが印象に深く残った一年だった。
歳を重ねれば、周囲の人々、同窓生、古くからのつきあいがある方など少しずつ亡くなっていくのは当然のことかもしれない。このブログを書いている私自身さえ、いつ致命的な病魔に襲われてもまったく不思議ではない年齢になった。
先日、実家のある浅草を訪れて、母と再会した。
母は3年ほど前に甲状腺にガンが見つかり、東大病院で全摘出の手術を受けた。経過は良好で再発する兆候は見られない。しかし、その少し前から認知症が少しずつ顔を出し、今では風貌もすっかり変わってしまった。徘徊などはなく、トイレも自分でできるため、あまり手がかかるという状況ではない。記憶はかなり減退しており、私のことはわかるが、私の娘たちはまったく他人になってしまった。同居する兄の話では、時々妄想じみたことがあるという。良くもなく悪くもなくと言ったところだろう。
仕事の面でも、大きな変革が近づいている。私の保育園は公立の指定管理者、つまり公設民営園だ。1年目は運営の問題でかなり苦戦したが、2年目となった今年は慣れたせいもあり、順調に経営が進んでいる。しかし、それは表向きの話だ。1年目には隠れていた問題が、今年になって地割れから噴き出し始めた。
保育園の運営というのは、そこそこ波風立たないように日々を過ごして行なうことができる。指定管理者園も実務はとてもハードだが、適当にやろうと思えば何とかできてしまう。
しかし、私は施設長に就任以来、前向きの運営を次々と打ち出した。童具(どうぐ)のデザイナーである和久洋三先生の積木を室内遊具のメインにした。オランダのピラミッドメソッドというシステムの導入を進行している。障碍児保育を実践して、佐々木正美先生が日本に紹介したアメリカ・ノースカロライナ州のTEACCH PROGRAM(Treatment and Education of Autistic and related Communication handicapped CHildren)を参考にしたいと考えている。
これらのことは、私の園が最初にやるのではなく、すでに全国各地の保育園・幼稚園で実践されていることである。何も目新しいことではなく、志があれば、誰でも取り組めるものである。
しかし、その方針を十分に職員に浸透してもらうことがなかなかできない。理事会を構成する理事の方々の多くは関心も理解もない。
それ以外にも、私の仕事のスタンスに公然と批判が出始めている。いわゆる一般の私立保育園のようなオーナー経営者がいないので、ひとたび問題が起きると、みんな好き勝手なことを言い出す。しかも、誰も悪意もなく、自分が唯一正しいと思っている。一度ひび割れが起きると、歯止めがかからないのだ。非常に難しい組織だと言えるだろう。
しかしこれは、他人の問題ではなく、私自身の問題であり、来年に向けての最大の課題だ。私が誠意を持って行動することが必要だ。今年1年の反省は、このことに尽きるであろう。
今、これを書いている最中に、新潟の叔母から電話が入った。年末のご挨拶だったが、話をしたのは久しぶりだった。叔母の夫である叔父は、私の母の兄にあたり、9年前の豪雪の時、屋根の雪下ろしをしている時に転落して亡くなった。当時上越・信越の各鉄道が軒並み運行停止になるほどの大雪で、それ以来北陸地方で同じ規模の雪は降っていないらしい。
人の生命ははかないものだ。神様に頼ることは無意味だ。信じることは良いことだと最近思うが、最期は自分一人で勝負しなければならない。そして今日を生きたことに感謝し、明日を迎えられることに喜びを持たなければならない。
前職の園長が「園長とは孤独なものだ」と言ったのが、今さらながらによくわかる。
同志はいらない。ひとりで立ち向かおう。
個人的には、元旦早々に小学・中学時代に個別支援をしたY君とそのご家族が火災により不慮の死を遂げてしまったこと。そして中学校の同級生で元タレントだったSさんが父親の墓前で自死されてしまったことなど、残念なことが印象に深く残った一年だった。
歳を重ねれば、周囲の人々、同窓生、古くからのつきあいがある方など少しずつ亡くなっていくのは当然のことかもしれない。このブログを書いている私自身さえ、いつ致命的な病魔に襲われてもまったく不思議ではない年齢になった。
先日、実家のある浅草を訪れて、母と再会した。
母は3年ほど前に甲状腺にガンが見つかり、東大病院で全摘出の手術を受けた。経過は良好で再発する兆候は見られない。しかし、その少し前から認知症が少しずつ顔を出し、今では風貌もすっかり変わってしまった。徘徊などはなく、トイレも自分でできるため、あまり手がかかるという状況ではない。記憶はかなり減退しており、私のことはわかるが、私の娘たちはまったく他人になってしまった。同居する兄の話では、時々妄想じみたことがあるという。良くもなく悪くもなくと言ったところだろう。
仕事の面でも、大きな変革が近づいている。私の保育園は公立の指定管理者、つまり公設民営園だ。1年目は運営の問題でかなり苦戦したが、2年目となった今年は慣れたせいもあり、順調に経営が進んでいる。しかし、それは表向きの話だ。1年目には隠れていた問題が、今年になって地割れから噴き出し始めた。
保育園の運営というのは、そこそこ波風立たないように日々を過ごして行なうことができる。指定管理者園も実務はとてもハードだが、適当にやろうと思えば何とかできてしまう。
しかし、私は施設長に就任以来、前向きの運営を次々と打ち出した。童具(どうぐ)のデザイナーである和久洋三先生の積木を室内遊具のメインにした。オランダのピラミッドメソッドというシステムの導入を進行している。障碍児保育を実践して、佐々木正美先生が日本に紹介したアメリカ・ノースカロライナ州のTEACCH PROGRAM(Treatment and Education of Autistic and related Communication handicapped CHildren)を参考にしたいと考えている。
これらのことは、私の園が最初にやるのではなく、すでに全国各地の保育園・幼稚園で実践されていることである。何も目新しいことではなく、志があれば、誰でも取り組めるものである。
しかし、その方針を十分に職員に浸透してもらうことがなかなかできない。理事会を構成する理事の方々の多くは関心も理解もない。
それ以外にも、私の仕事のスタンスに公然と批判が出始めている。いわゆる一般の私立保育園のようなオーナー経営者がいないので、ひとたび問題が起きると、みんな好き勝手なことを言い出す。しかも、誰も悪意もなく、自分が唯一正しいと思っている。一度ひび割れが起きると、歯止めがかからないのだ。非常に難しい組織だと言えるだろう。
しかしこれは、他人の問題ではなく、私自身の問題であり、来年に向けての最大の課題だ。私が誠意を持って行動することが必要だ。今年1年の反省は、このことに尽きるであろう。
今、これを書いている最中に、新潟の叔母から電話が入った。年末のご挨拶だったが、話をしたのは久しぶりだった。叔母の夫である叔父は、私の母の兄にあたり、9年前の豪雪の時、屋根の雪下ろしをしている時に転落して亡くなった。当時上越・信越の各鉄道が軒並み運行停止になるほどの大雪で、それ以来北陸地方で同じ規模の雪は降っていないらしい。
人の生命ははかないものだ。神様に頼ることは無意味だ。信じることは良いことだと最近思うが、最期は自分一人で勝負しなければならない。そして今日を生きたことに感謝し、明日を迎えられることに喜びを持たなければならない。
前職の園長が「園長とは孤独なものだ」と言ったのが、今さらながらによくわかる。
同志はいらない。ひとりで立ち向かおう。




